「ここに来るのも、一年ぶりだね」
 伊勢の街を眺めながら、里香が笑う。
 僕たちは砲台山の頂上に来ていた。
「前と違ってさ、コート着てないから助かったよ」
 頂上にある砲台の名残に2人腰掛け、何かするわけでもなくのんびりしていた。
 僕の言葉に里香がくすくすと笑う。
「裕一はあの時すごい汗かいてたね」
「仕方ないだろ…お前を驚かせたかったんだから」
 去年ここに来たとき、僕は暖かい中コートを着込んでいた。
 里香の喜ぶ顔が見たくて、里香をびっくりさせたくて、『チボー家の人々』を背中に挟んでいたからだ。
 そのせいで汗だくになったり、ハードカバーの角が背中に刺さって痛かったりしたけど。
「ほんと、びっくりしたよ…あと、すごく嬉しかった」
 本を渡したときの里香の顔は今でも忘れられない。
 最初に目を大きく見開き、その後ちょっと泣きそうに顔が歪んで、最後には本を抱きしめながら満面の笑みになった。
 照れくさそうに頬を染め、裕一のばかって呟いていた。
「泣くぐらい喜んでたよな」
「泣いてなんかないわよ。裕一、ボケたんじゃない?」
「な、それは言い過ぎたぞ里香」
 僕が食ってかかると、つーんとそっぽを向く。
 でもその顔が笑っているのがわかった。
 暖かい日差しの中で伊勢の街を眺めながら、里香と2人で笑いあう。
 こういうのが幸せなんだなと思った。
「…風が気持ちいいね」
「ああ、昼寝したらきっと最高だな」
「んっと」
 変わったかけ声と共に里香がその場に寝転ぶ。
 里香のきれいな長い髪が、ふわりと広がった。
「ほら、裕一も寝る」
「はいはい」
 里香に促され、僕も砲台の台座に身を預けた。
 空には、まばらに雲が浮かんでいる。
 穏やかな風が、ゆっくりと雲の形を変えていった。
「平和だな」
「平和だね」
 意味もなくそんなことを言いあい、静かな時間を楽しむ。
 しばらくそうしていると、里香が僕の袖を引っぱった。
「なに?」
「腕」
「は?」
 訳が分からずに、間抜けな声がでる。少しの間考えて、彼女の意図に気づいた。
「ほら、頭上げて」
「よしよし良くできました」
 里香の頭を僕の腕で支える。いわゆる腕枕ってやつだ。
 自然とお互いが寄り添う形になる。少しドキドキした。
「あったかいね」
「そうだな」
「あたし、眠くなってきた」
「俺も眠いよ」
 それから里香が可愛い寝息を立てはじめるのに、時間はさほどかからなかった。
 里香の頭を撫でたくなったけど、やめておこう。
 彼女の眠りを妨げたくない。それに、僕もやたらと眠くなってきた。
「おやすみ」
 里香が微かに笑った気がした。
 穏やかな風が吹いている。柔らかい日差しが、僕たちを包んでいた。


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